序章 誘拐された少女
雨の夜だった。
小さな足音をかき消すように、馬車の車輪が泥濘を滑る。
縄で手首を縛られた少女は、薄布を頭からかぶせられたまま、荷台の隅にうずくまっていた。
──声が出せない。
泣き叫んでも、誰も来ないと分かっていた。
何が起きたのかもわからない。ただ、気がつけば屋敷を出され、闇の中を連れまわされている。
「こいつ、本当に貴族の娘か?」
「さあな。教育は受けてるみたいだが、今となっちゃただのモノだ」
乱暴な笑い声と共に、縄が引かれた。
痛みで身体が跳ねる。
少女──ヴィヴィアンは、小さく震えながら、唇を噛みしめた。
(……父様……兄様……どこ……?)
何も見えない。けれど、何かが壊れたのはわかった。
誇りも、名前も、家族も。
すべてが、誰かの都合で奪われていく。
行き着いたのは、イシュガルディアの港町だった。
誰も知らない、氷の世界。
彼女は「荷物」として、知らない男たちの手に渡され──
やがて、小さな物置小屋をあてがわれた。