──再会の朝 帝都からの外交を終えた帰還の馬車が、ゆっくりとロザリス邸の前で止まった。 扉が開く。 眩しい朝の光と共に、一歩踏み出したこの邸宅の主人──マリウスの視線は、ただ一人を探していた。 「……ヴィヴィアン」 次の瞬間、彼女の声が届いた。 「おかえりなさい。ご無事でよかっ──」 その続きを言わせる前に、ふわり…と彼女の前に現れ、 マリウスの腕が、彼女をそっと抱きしめていた。 「っ……!?」 驚きに目を見開くヴィヴィアン。 けれど、彼の抱擁は決して強引ではなかった。 ただ、長く離れていたことへの安堵と、確かな想いが滲むだけの──温かさだった。 「……会いたかった」 低く、小さな呟き。 けれど、ヴィヴィアンの心には真っ直ぐに届いた。 「……私もです。マリウス様」 そう返しながらも、彼女の手もまた、そっとマリウスの背中に添えられていた。 ──まるで、確かめるように。 帰るべき場所へ。 待っていた人のもとへ。 今、ようやくたどり着いたのだと。 静かな風の中、二人の影がゆっくりと重なっていく。 (おかえりなさい、マリウス様) (ただいま、ヴィヴィアン) ** 再会の抱擁は、静かに、そして確かに、互いの心に温度を刻んだ。 けれど── 「……行かなくては。王宮へ、報告を」 マリウスは名残惜しそうにヴィヴィアンから離れると、くるりと踵を返す。 使用人が控える馬車へと向かう背中は、いつも通り凛としていて。 ──だからこそ、ヴィヴィアンは胸の奥で、小さな寂しさを噛みしめた。 (……仕方ない。そういう人だもの) だが── 次の瞬間、その背がふと止まり、彼はゆっくりと振り返る。 朝の光に照らされた銀の髪。 そして、ふいに浮かべたのは、いつもの冷静さとは違う、どこか挑発的な微笑── 「……足りないな。ヴィヴィアン」 「……え?」 「夜、君のもとへ行く。待ってなさい」 瞳を細め、まるで契約を結ぶように囁くその声。 ゆるやかに唇の端を上げたその表情は、まさしく“氷銀侯爵”の異名にふさわしい色気を纏っていた。 「っ……!?」 ヴィヴィアンの頬が、みるみる朱に染まる。 心が早鐘を打ち、言葉も出ないまま── 「じゃあ、あとでな」 軽く手をあげて馬車へと乗り込む彼の背に、ヴィヴィアンはただ呆然と立ち尽くしていた。 (な……なに今の……!いつからあんなの……反則ぅ…) 口元を押さえ、震える指先で胸の高鳴りを必死に誤魔化しながら── 「……待ってなさいって、あれ、どういう……意味……なのよ……っ」 そう呟く彼女の耳まで、真っ赤に染まっていた。 ──王宮・謁見の間 外交から戻ったばかりのマリウスは、休む間もなく報告のため王宮へと足を運んでいた。 「……以上が、アスラン王国との交渉の結果です。調印書類は別途お届けいたします」 「ご苦労だった、マリウス」 皇帝陛下の言葉に、マリウスは深く頭を下げた。 「お暇をいただけますか。報告が終わったなら、すぐに領地に戻りたいのです」 皇帝の許しを得ると、マリウスは足早に王宮を抜けようとした その時。 「おい、ちょっと待て」 中庭で立ちはだかる皇太子・エドワードが、不意に声をかけた。 マリウスが振り返ると、彼は珍しく真面目な眼差しを向けていた。 「先日──」 エドワードがゆっくりと口を開く。 「“ヴィヴィアン嬢”に声をかけられた。“最近、マリア様にお会いになりましたか?”と」 マリウスの瞳が、わずかに揺れた。 「……そうですか」 「マリア姉上には……ずっと会えていない。ここ数年は、便りもほとんどない」 声に、わずかな痛みがにじむ。 「バルド家に嫁いで以降、姉上のことを“公には触れるな”と、宮廷内で何度も忠告を受けた。僕は……なぜなのか、ずっとわからなかった」 「ならば──陛下には?」 「聞いた。だが、“王家の問題ではない”とだけ返された」 マリウスは静かに目を伏せる。 (……やはり、“知らなかった”か) 「マリウス、何か知っているのか?」 「……殿下。私は今、答えを持ってはおりません。ですが、ひとつ確かなことがあります」 「……?」 「姉上は、確かに“今”を生きておられます。そして、まだ間に合う」 そう言い残して、マリウスは軽く頭を下げた。 「……失礼いたします」 その背に、エドワードは言葉を投げることができなかった。 ** ──ロザリス家へ戻る馬車の中、マリウスはただ一人、窓の外を見つめていた。 (ヴィヴィアン…今度は何を始めたんだ。もちろん私も混ぜてくれるんだろうな?) ──夜の帳が降りる頃、ロザリス邸 ノックの音に、ヴィヴィアンは静かに「どうぞ」と返した。 扉を開けて現れたのは、マリウス。外交から戻ったばかりの彼は、疲れの色を浮かべつつも、どこか安心したような面持ちだった。 部屋にはキャンドルの灯りだけが揺れており、机の上にはすでに資料が並べられていた。 「君は……本当に仕事をするつもりか?」 呆れたように呟きながら、マリウスはゆっくりとソファに腰を下ろす。 「ええ。大事なご報告がありますから」 「……ふむ」 マリウスはほんの少し思案するような仕草を見せた後、手を差し伸べて手招きをした。 「……なに?」 警戒しつつ近づいたヴィヴィアンの腕をそっと取ると── 次の瞬間、彼女の身体はふわりと宙を舞い、マリウスの膝の上におさまっていた。 「っ……わたしは、なぜ……こんな姿で……?」 「足りないと言ったろう? さぁ、報告を」 戸惑いと羞恥を抱えながらも、逃げるすべもなく、ヴィヴィアンはしぶしぶと資料に目を落とした。 (なんで膝の上で政務報告しなきゃいけないのよ……!) ⸻ 「まず、ルーの調査報告からです」 ヴィヴィアンの声音が切り替わる。 「バルド家が密かに関与していた取引先は、アスラン王国の裏業者でした。名目は医薬品や食料ですが、実態は兵器や人身売買の疑いがあります」 「……外道だな」 「次に、“後継者”の件です」 わずかに声音が硬くなる。 「バルド家の跡取りとして発表された子は、マリア様の子ではない可能性が高いです。ルーの報告では、“愛人”の女性が二年前に出産しています」 マリウスの目が鋭く光る。 「その女は?」 「……リリィと親しくしていた侍女です。以前、宮廷で何度か、一緒にいるのを見かけました」 「つまり、リリィとバルドの間に、その女を介した繋がりがある」 「可能性は高いです。証拠はまだですが……状況的には十分かと」 「そしてマリア様は声を上げられず、檻の中にいる……か」 「……二年前に“後継ができた”という報せが出て以来、マリア様に会えた人はいません。陛下でさえ」 マリウスは静かに目を伏せる。そして、決意を滲ませながら口を開いた。 「奪還しよう。マリア様は“檻”に囚われるような方ではない」 「……はい。わたしも、同じ気持ちです。 マリア様を……“義姉”として、お迎えにあがります」 その言葉に、マリウスの腕がそっとヴィヴィアンの身体を抱き寄せた。 「君がそう言ってくれて、嬉しいよ」 「な、なに言って……い、今は作戦会議中ですっ!」 「……そうだったな。続きを聞こうか、フロストリア夫人?」 「~~っ……もう、膝から下ろしてくださいっ!」 けれど、マリウスの腕はまだ緩められない。 「なぁ、褒美はないのか?私は結構頑張ってきたつもりなんだが」 「は、はぁ?」 「仕事を頑張った夫に、妻がすることと言えば?」 圧。 「え、えっと……」 動揺するヴィヴィアンに、マリウスはふっと笑みを浮かべた。 「……君の気持ちが固まるまで、いくらでも待つさ」 その声音は優しく、けれど冗談ではない真実を宿していた。 「まぁ……私の気持ちを抑えはしないがね。気は長い方なんだ」 「……本当に、ずるい人です」 ぽつりと零したヴィヴィアンの言葉に、マリウスは何も言わず、ただその額にそっと唇を落とした。 「……さぁ、続きを頼むよ。ヴィヴィアン殿?」 「……はい。マリウス様」 少しだけ笑みを浮かべながら、ヴィヴィアンはまた書類に目を戻した。 ──その夜。 政略と、信頼と、微熱の芽吹く作戦会議が、静かに進んでいった。 数日後 ──夕刻。ロザリス邸の執務室 書類に目を通していたヴィヴィアンは、ふと感じた視線に顔を上げた。 「……なにか?」 「ヴィー。そろそろ記念日だろう?」 マリウスは、手にしていたペンを机に置きながら、落ち着いた声で尋ねた。 「……あぁ。エドワード殿下たちのご婚約の記念日ですわね。お祝いの手紙も出さなければ──」 「おまえ……」 「……?」 不思議そうに小首をかしげたヴィヴィアンに、マリウスは深くため息をついた。 「私たちの記念日だ」 「……ぁ……」 一瞬、ヴィヴィアンの表情が固まる。 無理もない。 エドワード皇太子とリリアン皇女の婚約式は盛大に行われ、マリウスとヴィヴィアンも参列していた。 式典の日取りも、自分たちの結婚記念日と近く、しかもヴィヴィアンは当時、フロストリア侯爵夫人として“仕事モード全開”だったのだ。 「……ご、ごめんなさい……っ!」 慌てて謝罪するヴィヴィアンの姿に、マリウスは苦笑する。 「いや。忘れられていたわけではないのだろう?」 「も、もちろん覚えては……!でも、その……色々と重なってて……!」 「ならば、当日までに“夫婦らしいこと”を考えておくといい」 「……へ?」 「褒美が欲しいと言っただろう。私は結構、楽しみにしているのだよ?」 静かに微笑むその表情は、からかうようでありながら、どこか本気を帯びていて── 「……いつまでひっぱるの?……」 真っ赤になったヴィヴィアンが顔を伏せると、マリウスはふっと声を漏らして笑った。 「では、楽しみにしている。私の“奥方殿”」 その言葉に、耳まで染まったヴィヴィアンは、顔を上げることすらできなかった。 さらに数日後 ―朝。ロザリス邸・ヴィヴィアンの私室 扉を叩く音で、ヴィヴィアンは目を覚ました。 「……どうぞ」 返事をすると、静かに扉が開かれる。 「おはよう、ヴィー」 入ってきたのは、朝の光を背に立つマリウスだった。 すでに支度を終えたその姿は、いつも通り凛としていて、それでいてどこか柔らかい。 「……おはようございます。マリウス様。こんな朝早くにどうかしました?」 「記念日だろう? 先に顔を見たくてな」 「……っ」 さらりとしたその言葉に、ヴィヴィアンは一瞬、目を見開き──頬をかすかに染める。 「……ええ。今日でしたわね」 ようやく笑みを返したその手に、マリウスは小さな包みを差し出した。 「これを、君に。気に入ってくれるといいのだが」 中を開けると、雪の結晶を模した銀の簪(かんざし)が現れた。 中央にはフロストリアを思わせる、淡い蒼の宝石があしらわれている。 「……これ、私のために……?」 「君の髪に映えると思ってな。……華やかすぎたか?」 「そんなことありません。……とても、嬉しいです」 そっと簪に触れながら、ヴィヴィアンはふわりと微笑んだ。 「……実は私も、用意していたんです」 恥ずかしそうに差し出したのは、丁寧に包まれた小さな箱。 開いたマリウスの手元に現れたのは──艶やかな黒の万年筆だった。 「これは?」 「あなたの言葉は、きっとこの国を動かすものになるから……。その一文字一文字が、綺麗に、まっすぐ届けばいいと思って」 「……ありがとう。君の贈り物として、大切に使わせてもらうよ」 いつもより少しだけ穏やかな声。 その響きが、ヴィヴィアンの胸に静かに沁みていった。 ささやかな幸せ。 朝の光は、そんなふたりをやさしく包み込んでいた。 ⸻ その日の夜。ロザリス邸・就寝中 「っ……ぅ、……やめて……やめてください……」 ヴィヴィアンの寝台の中から、か細いうめき声が漏れていた。 ──夢の中。 目の前で、マリウスが倒れていた。 白い礼装が血に染まり、剣が胸を貫いている。 呼びかけても、返事はない。 「やめて……お願い、返して……っ!」 手を伸ばしても、掴めない。 ──場面が切り替わる。 ロザリス邸が、黒煙と瓦礫に包まれていた。 ギルベルトも、ルーも、モリアさえも──姿が見えない。 ──また場面が変わる。 雪降る街道を、イシュがひとりで彷徨っていた。 「兄様……どこ……?」 凍える声と涙。 声をかけようとしても、喉が塞がって出ない。 ──キィィィィィィ…… 耳鳴りが頭を割くように響いた。 (やだ……やだ、こんなの……!) 「っ──!」 ばっと身体を起こしたとき、ヴィヴィアンは汗に濡れていた。 「は……ぁ……っ、はぁ……っ」 心臓が激しく脈打ち、指先が震える。 見慣れた寝室の天井が、まるで知らない世界のようだった。 (……夢……だった……) けれど、胸の奥に残る痛みは、まるで現実のようで── 彼女はただ、声もなく口元を押さえることしかできなかった。 程なく― エドワード皇太子と、リリアン皇女の結婚の日取りが決まった。 隣国の姫という立場上、王妃になる事を懸念する人間も多く、婚姻を先延ばしにして来たが、エドワード皇太子の強い希望と、シャルル.ド.バルド公爵を中心としたリリアン皇女推薦派が後ろ盾となったのが決め手であった。 ここ数ヶ月、バルド公爵家の勢力拡大は目に見えていた。 一部の噂ではイグナティア公爵に取って代わるのではないかとされているが、もちろんそんな事にはなろうはずもない。 それは、マリウスが知らずに阻止したのだから…。 そして― 式典当日の朝。 王都レガリアがまだ静寂に包まれている時間、ロザリス邸の一室では、ヴィヴィアンが一人、式典に必要な書類に目を通していた。 机の上には、前夜から用意された資料と、今日着る正装用の髪飾り。 記念日にマリウスから贈られた簪も、大切に箱に納められている。 ──扉が静かにノックされる。 「……どうぞ」 入ってきたのはマリウス。 いつもより重みを感じさせる黒と銀の礼服をまとい、手には小さな箱を持っていた。 「おはよう、ヴィー」 「おはようございます。ご準備は……?」 「問題ない。君も、似合っているよ」 「っ……ま、まだ着替えていません……っ」 「ふふ。楽しみにしている」 その言葉に、ヴィヴィアンの耳がほんのり赤く染まる。 マリウスは言葉を切ることなく、そのまま手に持っていた箱を差し出した。 「これを、君に」 「……?」 重厚な意匠が施された、黒革の小箱。 恐る恐る開けると──そこには、ひとつの指輪が納められていた。 銀の枠に、蒼い宝石が埋め込まれている。 「これは……」 「フロストリアの印章だ。侯爵代理権限を持つ、正式な印章のひとつ。……今日から、君に託す」 「っ……」 思わずヴィヴィアンは言葉を失う。 「君はもう、ただの“妻”ではない。フロストリアを共に背負う者だ。……ならば、その証も必要だろう?」 「……そんな、大切なものを……私に……?」 「君以上にふさわしい者はいない」 そう言って、マリウスはヴィヴィアンの左手を取り、薬指にそっと指輪をはめた。 ──ぴたり、と吸い付くように収まる印章の指輪。 「……重みが、あります」 「当然だ。これは“侯爵の意志”そのものだからな」 けれど── 「君が身につけるなら、その重さも半分になればいい。そう思っているよ」 その言葉に、ヴィヴィアンは瞳を伏せ、静かに口元を引き結ぶ。 「……ありがとうございます。マリウス様」 「君の立つ場所は、私と同じ高さだ。……忘れないでくれ、ヴィヴィアン」 「……はい」 指輪をそっと胸元に当てながら、ヴィヴィアンは深く一礼した。 その日、フロストリアの印章は、確かに“託された”。 侯爵の想いと、夫の信頼をその指に携えて── ―帝都・聖堂/結婚式 鐘の音が高く響き渡る。 盛大に開かれた皇太子エドワードとリリアン皇女の結婚式は、まさに国を挙げての祝福の日だった。 参列者の視線が集まる中、正装を纏ったヴィヴィアンの姿もまた注目の的だった。 フロストリア侯爵夫人として、そしてその日マリウスとさりげなく“お揃い”の色味を身に纏った彼女は、柔らかな微笑を浮かべていた。この後待ち構える試練など知るはずもなく… ⸻ロザリス邸にて式後の報告 式の数日後、ロザリス家では密やかな報告と作戦会議が行われていた。 クラリス、ギルベルト、ルー。そしてマリウスとヴィヴィアン。 目的は──マリアの奪還。 だが、それは甘くはなかった。 バルド公爵の影響力がリリアンの後ろ盾になる事で急速に拡大。それによってロザリス家への弾圧が日々強まっていること そして、頼みの綱である アイオンがマリアへの手紙を届けられずに帰還──悲しげに首を傾げる姿が、すべてを物語っていた。 ヴィヴィアンの顔が曇る。 「どうしたの? アイオン……会えなかったの?」 彼女の問いに、アイオンは小さく鳴いて答えた。 ⸻そしてギルとルーの危機 ルーが放った偵察もマリアの姿を確認できず、クラリスの機転で情報を引き出そうとするも、バルド家の“仮面舞踏会”に関する奇妙な噂しか掴めなかった。 ──そのパーティーに赴いたギルベルトとルーは、思わぬ罠に嵌まる。 麻薬取引の現場。 見つかれば国家反逆にさえ問われかねない危険な現場で、ふたりは罪を被せられそうになる。 だが、クラリスの機転でなんとか難を逃れた。 それでも── 「証拠は、封じられた……」 ギルベルトの沈痛な声。 公にすれば【疑い】とはいえどうなるかはギルベルト自身がよく知っていた。 自分だけならいい。だが、親友ルーと、イグナティアの大切な娘を巻き込むわけにはいかなかった。 「なかったことにしてやる。だからマリア様の事を嗅ぎ回るな!いいな?」 と行動を封じられ、これまで積み上げた全ての証拠を潰されたのである マリア奪還計画は、ここにて頓挫する事となった。 ⸻夜.フロストリア邸 「……ごめんなさい。私の判断が甘かったの」 肩を落とすヴィヴィアンの隣で、マリウスが優しく声を落とす。 「諦めるのはまだ早い。できることは、きっとあるはずだ」 彼の言葉に、ルーもまた頷く。 「俺は別方向から探ってみる。バルドの周囲、まだ尻尾がある」 でも── たとえ支えてくれる人がいても、ヴィヴィアンの心は曇っていた。 ⸻後日、王宮 エドワードに事情を話すため王宮を訪れたふたり。 皇太子の執務室に向かう途中。 まるで待ち伏せてたかのようにリリアンがマリウスを呼び止めた。 「マリウス…ごめんなさい。この道路に面した農場の件なんですけど…」 公務…と言うには近すぎる立ち位置でマリウスに質問する。 「農場…ですか?これは―」 「マリウス様。先に行っておりますね…」 「ヴィー?」 マリウスの声に振り向かず ヴィヴィアンはひとりでエドの執務室へ向かった。 「…エドワードは私の夫。2人きりになるなど…」 「リリアン…君は何を…」 ―皇太子執務室 「おまえ、顔色が悪くないか?」 「問題ありませんわ」 「マリウスは?」 「リリアン様と、打ち合わせ中です」 「なら少し待つか……」 エドがそう言った、その時──扉が開いた。 ──入室してきたのは、マリウスとリリアン。 ヴィヴィアンとマリウス、エドワードとリリアン。それぞれの隣に座る形となる。 そこで、リリアンがふと視線を逸らし、口元だけで呟いた。 「あなたがいけないのよ」 それは── あの日、エドワードの隣で、マリウスに向けて呟かれた言葉と同じだった。 「……っ」 ヴィヴィアンの瞳が見開かれる。 血の気が引き、身体が震える。 その異変に、真っ先に気づいたのは正面にいたエドワードだった。 「おい?おまえ、大丈夫か?顔が……真っ青だぞ──」 ──バタッ! 崩れ落ちた身体を、マリウスが即座に抱きとめた。 「ヴィー!? ……ヴィー、どうした?」 動揺を隠しきれずに、マリウスが問いかける。 「…なにかしたのか?」 静かな怒気を孕む声。だがそれは疑う気持ちからではない。 「私たちは何も!それよりお医者を!」 「リリアン君は、部屋に行くんだ」 ぴしゃりと告げたのは、エドワードだった。 理由は言わない。だが、その声音には明確な“拒絶”があった。 リリアンは何も言えず、その場を後にした。 ―王宮の一室。 柔らかな光が差し込む中、ベッドに横たわるヴィヴィアンの額に、医師が静かに手を当てていた。 「高熱と過度の疲労による一時的な失神です。おそらく数日、ゆっくり休ませれば……」 「ありがとう。あとはこちらで」 医師が下がり、支えていた王宮兵。そしてエドワードも退出する。 扉が閉まり、部屋にはマリウスと、意識を失ったままのヴィヴィアンだけが残された。 マリウスは椅子を引き寄せ、ベッド脇に座る。 その手は、氷のように冷たいヴィヴィアンの手をしっかりと握っていた。 「……こんなになるまで、気づいてやれなかった」 彼の声は静かだった。 怒りでも、悲しみでもなく──ただ悔しさと、深い後悔が滲む。 「おまえはいつもそうだ。自分を後回しにして、人のためにばかり動いて……」 「頼ればいい。怒ればいい。泣いてくれた方が、どれだけ安心できるか……」 眠るヴィヴィアンは、何も答えない。 けれど、マリウスはその沈黙さえも抱きしめるように、彼女の手を決して離さなかった。 ──その様子を、扉の影から静かに見つめるもう一人の姿。 (……おまえ、本当に……) エドワードは誰にも聞こえぬ声で呟く。 (……どうしようもなく、本気なんだな) 彼はそっと目を伏せ、そして静かにその場を離れた。 ―一方その頃… 王宮・リリアンの部屋 リリアンは鏡の前で、静かに髪を梳いていた。 一回、また一回。数を数えるように、ゆっくりと。 「……梳かす程きれいになるの」 誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。 「昔は、マリウスもエドも、よく褒めてくれたのに」 ふわ、と笑ったその頬には、涙の跡がかすかに残る。 「ヴィヴィアンがいなくなれば……また戻るよね?」 小首を傾げるその表情は、疑いも迷いもなく──まるで、祈りのように純粋だった。